悪魔の手



 わたしの手は悪魔の手。
 綺麗に咲くあの花に、触れてはいけない。


 がちゃんと冷たい音が響きました。
 わたしのいるべき場所はきっとここだったのです。最初から。
 鍵をかけられた檻に、すがりつくこともせずに座り込みました。
 わたしの手は誰にも触れてはいけない。
 「悪魔の子。もうこれ以上、命を奪うでない」
 はいと、答えました。
 奪うだなんて、思ったこともありませんでした。
 ただ触れようとしただけ。
 そんなことでも、わたしには許されなかった。

 長いあいだ、ずっと座っていました。
 この柵から手を伸ばしてはいけないから、空ばかり眺めて。
 大きな空。そこに飛ぶ白い鳥を見てそっと目をふせました。
 見えたのは、手。
 大切なものを奪うことしか出来ない。

 「ああ」
 若い男の人でした。
 悲しそうでした。
 「僕は病気なのです」
 彼はわたしに手を伸ばしました。
 「わたしに触れてはいけないのです」
 その痩せてしまった手を見て、わたしは首を振りました。
 すると彼はすっと手を引いて涙を流しました。
 どうして泣いているの。
 「あなたは美しく優しい。僕なんかよりもずっと」
 「そんなことはありません」
 今度は彼が首を振ります。

 「ああ、優しく哀れな天使」
 「僕はもうここにいたくないのです」
 「どうか、その手で眠らせてください」
 戸惑いの目で彼を見上げました。彼は両腕をわたしに向けて伸ばしました。
 
 本当はその手に触れたかった。
 人の温かさをこの手で感じたかった。
 だけどそれは赦されないこと。

 「こちらに」
 「いけません」
 「大丈夫です」
 彼の目は儚げで、それでも優しく温かい。
 「大丈夫です」
 もう一度彼は言いました。微笑みながら。

 「ああ、有難う」
 彼はそう言いました。
 人の手はこんなにも温かかったの。
 人はこんなにも温かかったの。
 「ごめんなさい」
 わたしは彼の腕の中で泣きました。
 彼の手がだんだんと冷たくなっていくのを感じました。
 「ごめんなさい」
 何度も何度も。ぎゅっと動かなくなった彼の体を抱きしめて泣きました。
 ふと彼の腰に繋がれたナイフが目にはいりました。
 わたしはそれを手にとって、その冷たいナイフを強く握りました。
 「ごめんなさい。――ありがとう」

 わたしの体から流れ出たものは、温かくて。
 それが無性に嬉しかった。



 「これは」
 次の朝。
 村では不治の病に侵されていた青年と、真っ赤な少女が発見されました。
 二人はとても幸せそうな顔で、まるで眠っているようでした。
 そして。
 少女の血で濡れた地面には、綺麗な花が一面に咲き誇っていました。
 それは、とてもとても美しい光景でした。

 「本当に悪魔の子だったのか」

 誰かがポツリと呟きました。
 その言葉に誰もが口を閉ざしました。
 少女の笑顔は天使のようでした。

 村人は青年と少女の墓をそこに作り、花を添えました。
 毎日誰かが訪れ、花を添えていくのです。
 いつのころからか、訪れる人はいなくなってしまいました。
 しかし、いつまでもその場所は光であふれています。
 鳥は歌を口ずさみ、花は風に揺れます。


 そして、月日が経って。
 いつしかその墓は、「天使の眠る場所」と呼ばれるようになりました。

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